2011.04.01 Friday
昔の暮らし方に戻るのも良いんじゃないかな・・・アメリカで今 思うこと
私は エアコンもない 乾燥機もない、水洗トイレもない時代に育って、いつも家族が同じ部屋で過ごしたような暮らしも経験してるから、昔のような暮らしに戻ることは ちっとも構わないよ。おととい私は夫に言った。
昭和40年代 高度成長期の日本はまだ貧しかった。でも 夢と希望が溢れていて たぶん日本が一番エネルギーがあって輝いていた時代だと思う。
あせもが あちこちにできるくらい暑かったし、冬には家の中にいるのに霜焼けで足が真っ赤になっていた。内風呂がなくて銭湯に通っていたことだってあるし、お湯だって お台所の瞬間湯沸かし器しかなかったから 朝顔を洗うのも歯を磨くのも お洗濯も全部冷たいお水だった。
冬には おばあちゃんが練炭を入れた行火をお布団に毎日入れてくれて、台所には暖をとるのと ちょっとした調理もできるから 火鉢がおいてあった。
バスや電車にエアコンなんて入ってないし、テレビだってチャンネルは4つか5つ。プリンアラモードや ショートケーキが特別な日に食べられるのがうれしかった。
でも 今思うと本当に楽しくて いつも家族が一緒だった。父と母と祖母とそして姉がいつもそばにいた。父は店を大きくするため 一生懸命母と二人三脚 がむしゃらに仕事をしていた。喧嘩もしたけど とにかく笑いの絶えない家族だった。
アメリカに来てから 夜 夢を見るのも 高校生になって暮らすようになった新しい家での夢じゃなくて 幼い頃の夢がほとんど。
人はめまいがしそうなくらいの便利さと快適さの中にあって 大切なものを見失う。失ってからでは遅すぎるとわかっていても ひとつのものが手に入ると 次のものをと次々に果てなく求める。
今回の大震災の前から 思うようになっていた。
私は 今みたいな大きなおうちじゃなくても 新婚時代住んでいたような 小さなアパートで十分幸せに暮らせる。おとなになって、そして結婚してか らも 振り返ると大きな家を買う前 いろいろな将来の夢に思いを馳せていた頃のほうが楽しかったような気がする。いつも笑っていたような気がする。物資は 豊かじゃなかった分 心が豊かだった。
子供達がみんな成長して家から出て行ったとき、夫婦でまた原点に戻れたら それが何より幸せなんじゃないかと思える。そして 今子供達がいてくれ るあいだは、日本の両親と私たち姉妹がかつても そして今もしているように 同じ屋根の下にいる間は 同じ部屋で密にくっついていようと思う。アメリカ育 ちの子供達には嫌がられるかもしれないけど。
家族が個室に入るのではなく みんなでひとつの部屋で過ごすと エアコンもひとつしかつけなくて良い。節電になる、その上 お互いを再発見することもできる。